最近、立て続けにグラスをいくつか割ってしまいました。すべてシャンパングラスでして、と・て・もショックを受けています。
普段はそれほど慌て者であるという自覚はなく、不注意には自分なりに気をつけているつもりです(あくまでつもり、ですが)。

『この現象は何を意味しているのか?』
『この現象から自分が感じ取るべきメッセージは何なのか?』
ちょっと考えざるを得ませんでした。

ご存知の通り、フルートグラスは美しいけれど不安定な形をしています。
テーブルで腕を伸ばした際に倒して割った時のことを思い出してみると、不思議なことに、「割れるまでの一部始終を眺めていた自分」がいたことに気がつきました。気持ちとしては、「あ、割れる…ああ、やっぱり」というような感じです。
今考えてみると、その場でとっさに手を添えるなどのアクションを起こしていれば、傾きがその場で修正され、割ることを回避できたのではないかと思います。また、アルコールが入っていたことを割り引いても、その時の自分は少し疲れていたのかもしれないな、と気がつきました。

洗っている時にシンクへ倒して割ってしまった時(2回)は、あまりのあっけなさに凄く驚きました。まさか割れるとは思っておらず、割れ方も粉々というよりは、ばりん!といくつかのかけらに分かれた、という感じでした。当たり前に扱ったら脆くも壊れてしまったという、後悔の念が強いニュアンスです。
これは言うまでもなく、失ってから初めてわかる価値や尊さ…みたいなものでしょうか。あとは、考えごとをしながら洗い物をしていたので、集中力の欠如とか、ながら行為への警告なのかな、と今となっては思えます。

『起こることにはすべて理由がある。そこから何を感じとりどう生かすかが大切』
振り返りの際、ストップモーションのように行為を脳内再生すると様々な気づきがあります。無意識でやっている悪癖(行為だけでなく思考パターンも含む)なども、丁寧に紐解いていくことで、それが始まったきっかけやその時の感情にまで到達できるそうです。そこまで客観視をした結果の気づきは深く、心から納得できるものだったり、無意識でやっていたことをやめる/続けるという判断を意図的にできるようになるそうです。
…いずれにしても、割れたグラスは元には戻りませんけどね。(黒川)