6月2日(土)から1泊2日で鎌倉にある建長寺の水無月坐禅会に参加してきました。もう3年連続の参禅となります。
ほぼ24時間、私語厳禁で厳しい修行の教えに従い坐禅三昧です。実際に座っている時間のみならず、読経や食事、作務(掃除)の間など、全ての行動の時間が修行とみなされます。基本的にあまり丁寧な説明は受けられず、私語厳禁なので質問すらなし、間違っていたら厳しく指導されるという、まあ大人になってからこれほど頭ごなしに叱られることもあまりないだろう、というとても異質な環境での修行となります(修行なので当たり前ですが)。

ひどくレベルの低い話ではありますが、まず24時間スマホを見ないという日が毎年ここでしかありません。仕事のメールもすべてあきらめます。基本的に休み時間というものはなく、東司(トイレ)へ行くにも叉手という定められた絶対服従ポーズで移動しないと、即時ご指導の声が飛びます。食事の時間も、筵に正座で音を立てずに早飯し、最後にひときれの沢庵で洗鉢せねばならないので、個人的には最も苦痛な時間です。開浴(入浴)の時間もあるにはありますが、当然ながらのんびりと入ってはいられないので、2年前からはこれをあきらめ、夜の本堂で夜坐(夜の自由な坐禅)をすることにしています。

なので最も楽しめた修行は坐禅、ということになります。3年前にこの宿泊坐禅会に参加したのが初めての坐禅経験だったのですが、それ以来できれば朝と夜、少なくともどちらかには短く坐る生活を続けています。未だに結跏趺坐というきっちりした形で足を組むことはできませんが、線香一本が燃え尽きるまでの時間なら足の痛みもほどほどなので、坐禅に集中できる環境を満喫することができました。ちなみに警策を受けるのは自己申告なので、一方的にびしばしやられることは絶対にありません。初年度は足も痛く、眠気を催してばかりだったので、巡警をする和尚の足が視界に入ると冗談ではなく恐怖を覚えたものでしたが(しかも当時は何と言うか、もっとつっこんだご指導ぶりだったと記憶しています)、今年は気候もよく、自分の心身がしっかりしていたせいか素直に坐ることができたように思います。

特に、前述の夜坐の時間には、重文の龍王殿で好きな場所に単布団が敷けるので、星空の下で庭に向かいながら坐ったのはよい経験でした。雑念や煩悩は多く手放せないものばかりではありますが、一年に一度、自分を見つめ直す環境をしっかり作って無心を心がけてただ坐ることを、みなさまにもお勧めします。(黒川)